† 考えさせられた映画:「ラブリーボーン」「アバター」を観て思うこと †

時間が結構たってしまいましたが、
先日「ラブリーボーン」と「アバター」を観てきました。

まず、両方とも、景色が凄すぎます!!
映像見ているだけで癒されました・・・・。

 

 

 

さて、内容についてまだ見ていない人がいるのであらすじにはあまりふれずに
自分の中で感じたことや新たに思ったことなどが時間を追うごとにどんどん出てきました。

 

 

「ラブリーボーン」を観て思ったこと。
まず、生きている人と無くなった人との間の、思いがすれ違う歯がゆさ。
生きている側からの目線として思うことと、自分が天界から残った人達の様子を見て
感じたりすること。
両者の感情に入り込んでしまい、もうジレンマで感情が忙しかったw

特に宗教的なことを語るつもりとかは無いけれど、
私個人の考えとして、最近思うことは、
生きているうちに、その人個人の魂がどれだけ沢山のことに気がつけるか。
個人の内観での幸せや豊かさをどれだけ見出せるか。
を、見つけにでている旅なんじゃないかって思う。

それは肉体は滅んでも意識は無くならない。
生きていて苦しむのは、肉体があるから、何かを食べたり、肉体を存続させるために
この今の自分が生れ落ちている場所に対応することを保ちながら
精神的な成長もしていくという難しさがある。

肉体を安全に存続させることだけにいつしかとらわれることになり、
本来の自分の魂の目的や意志などがどこかへ置き去りになりやすくなる。
肉体が無くなって意識だけになると、そういった物質、物体的な悩みはなくなるが、
感じることが出来なくなるため、成長できてきた題材がなくなってしまう。
軽くはなくが、何も生み出せない、作り出せない、声も届かない。

出来ることは、見守ること。
そして意識を投げかけること。
キャッチしやすい人がいたら、その意識や意志がキャッチできる。
それがいわゆるチャネリングだとかじゃないかなって思う。

映画の最後あたりに出てくるシーン。
主人公が霊感の強い友人を介して生前の1番したかったことを伝える。
あの場面は正直深い。
考えれば考えるほど。観ている人はかなりの人がハラハラしたりするだろう。
あの場面をわざとああいう風に作ったのだと思えてくる。
表にださないメッセージを感じさせるんだ。

また、あのシーンと昔何度も泣いた「ゴースト」のラストシーンが重なる。

そして思うこと。
私自身もそういう時が小さいときからあった。
自分はあまり覚えていないが、以前住んでいた場所で、
私達の前に住んでいて亡くなられたおばあさんと対話したりしていたらしい。
覚えていることは、夜中急に目が覚めたときに、
正座してゆっくりお辞儀するおばあさんの影を見て
なんだろうあれは・・・。と不思議と怖くなくてじーっと見つめていたことだけ。

その後は夢の中で出てきた少年が牛乳が好きだったらしく
飲みたいと言って来て、1週間牛乳が無性に飲みたくなって飲んでいたこと。
(私は牛乳だけが飲めません。コーヒー牛乳なら飲める。
そしていまだに牛乳だけでは飲めないです。だから親が凄くおどろいていた)

あとは生まれてまもなく亡くなって、
1回でもいいから乳が飲みたかったという赤ちゃんの感情。

一番最近のものは自分に一番近い友人のお母さんがすでに亡くなっていらっしゃって、
その友人が一番辛い状態にあったときに、
「どうか伝えて欲しい!」という切羽詰った思いとメッセージが自分の中に流れてきたこと。
伝えると友人は信じてくれた。

 

これらは、意識して出来るものじゃないってこと。
どうしてもそれを伝えなきゃいけない対象があるとき、
またはずーっと訴えかけていたが、それをキャッチできる状態にいる人が気がついたとき。
そのメッセージが伝えるべき時やピンチに迫っているとき。
そんな時にこういう現象が起こりやすいのかなって思った。

 

そして、よくよく感性を研ぎ澄ませば、
この意識との対話は人だけじゃないってこと。

 

それを「アバター」の映画も語っている。

狩猟のシーン。
仕留めたときに、殺された物に対して投げかける言葉。

太古の人と周りの生命との繋がり方や関わり方を思い出させる。

樹、樹の精霊と対話するシーンの数々。

言葉を使わない対話。
イメージとしてはテレパシーという言葉を使ったほうがイメージしやすいかな。

主人公は今自分の魂の入っている肉体では肉体的損傷があり、足が使えない。
けれど、先住民の体に魂(思考?)だけを移動させて別の体を動かすときは
自由に走りまわることが出来る。

 

どんな姿をしていても「スピリットは1つ」だと言うことを実感させられる。

 

両方の映画を観て共通して感じたことは

肉体はどんな姿であれ、生まれ変わり、再生や終焉を迎えるが、
スピリットは永遠だ。

肉体が変わっても、
その自分をつかさどるスピリットが重要なんだと、今まで以上に感じた。

 

姿形を変えたりしても、
自分を取り巻くものをどんなもので飾ったとしても

 

その中に入っている「スピリット」が重要なんだと。

死は、今まで入っていた中に二度と戻れなくなってしまった状態なのだと思う。
動いていたものが二度と動かなくなった状態。
でも、肉体は滅んでもその中に存在していたスピリットは「有る」のだ。

そう考えるとね、
今の自分が動かせるこの肉体にいる間に出来ること。
この肉体を通じて自分を認識している人達に
抱きしめてあげたり、優しい言葉をかけてあげたりすることも肉体があるうちだけなんだ。

体があるうちに出来ること。
体があるからこそ出来ること。

そういった視点で考えると
自分のこの肉体のあるうちの時間=人生:に、おいて何をするかを選ぶことが
もっと明確にはならないだろうかと思う。

 

もっともっと感じたこと、テーマも沢山あるけど
一度に全てを書くと何が言いたいのか分からなくなってしまいそうだw

 

 

ラブリーボーン公式サイト
http://www.lovelyb.jp/

アバター公式サイト
http://movies.foxjapan.com/avatar/